新門司の広大な埋立地「マリナクロス」に農水省動物検疫所の新門司動物検疫場が完成し1月27日開業式がありました。環境に配慮した最新鋭の施設を備え「環境未来都市」を目指す北九州市にふさわしい施設です。平成14年度補正予算編成の際、自見庄三郎代議士の大活躍で誘致が決まったもので、37億5千万円をかけて建設されました。17年度内に開港する新北九州空港ともあわせて、新門司地区は新しいわが国の輸出入流通基地として飛躍が期待されています。
新施設はマリナクロス中央部の3ヘクタールの敷地に畜舎5棟を建設。主に豪州から輸入した肉用仔牛1500頭を収容、15日間係留して安全を確認します。年間では最大1万8千頭を扱う国内最大規模の動物検疫場です。閉鎖式構造、空調システムを備えた最新施設で、防臭・防虫や排水処理など環境保全と動物への配慮を十分に行った施設、と新門司動物検疫場は説明しています。
現在福岡市にある動物検疫所博多出張所の老朽化が進み、移転を決めたものです。新門司埋立地は九州自動車道、フェリー基地、来春開港する新北九州空港、の陸・海・空の複合輸送モードに対応できる適地として、候補に上げられました。
SARS(新型肺炎)BSE(狂牛病)鳥インフルエンザなど、人獣共通感染症の流行が世界的な問題となり、わが国でも海空の水際の防疫体制の整備充実が大きな課題となっており、この時期に動物検疫施設の充実強化は最も急がれる施策です。
自見代議士は自民党の「食の安全確保特命委」の副委員長を務めており、検疫強化の重要性をよく理解、北九州市の発展活性化にも必要な事業として、政府中枢、農水省へ新門司への誘致を強く働きかけ、成功しました。マリナクロスは既にトヨタ自動車の積み出し基地が活動を始めており、わが国の新しい流通基地として熱く期待されています。
自見代議士は「食の安全のために、検疫体制の充実は急務です。この施設と新空港とペアでの使用で新門司はさらに活性化するでしょう。住民の皆様のご協力を称え、心から感謝いたします。これからも、わが国の新流通基地としての新門司発展を全力でお手伝いします」と語っています。
動物検疫所 動物などを介して伝染性疾病の国内侵入や海外への伝染を防ぐため牛、豚、初生ひななどの動物とそれらの動物から作られる肉製品などの畜産物を検査し水際で疾病の侵入を防止している。
写真は(上)新門司動物検疫場の畜舎を視察する自見代議士 (下)仔牛を15日間係留する広い畜舎の内部を見る自見代議士(1月27日)
自見庄三郎代議士の政経セミナーが10月15日、小倉北区の北九州国際会議場で開かれ、6百人の聴衆が環境工学の国際的権威として活躍している月尾嘉男・東京大学名誉教授の「環境と情報の世紀」と題する講演を聴きました。月尾教授は「今すぐに、人類全体が地球環境を守る行動を起こさなければならない」と述べ、持続的発展が可能な循環型社会の構築への具体的な意識改革、行動を提言し、感銘を与えました。
初めて国際会議場で開いたセミナーには、6百人がつめかけ満員。県議、市議、京築、田川地区の市町村長の皆さんも顔をそろえました。来賓の武田文男福岡県副知事、末吉興一北九州市長、光井敏博北九州商工会議所専務理事が自見代議士の業績を称えました。
自見代議士は次のようにあいさつしました。
「昨秋の総選挙では、国会議員20年を節目に、初心に帰って戦いました。今年は衆院武力攻撃事態対処特別委員会の委員長として、有事関連法を成立させることができ、わが国の安全保障体制の構築に寄与できました。環境問題では、地球温暖化防止条約の京都議定書の発効が迫り、温暖化ガスの削減政策がいよいよ重要になりました。
環境と経済の両立には科学技術の振興革新も欠かせません。私は党科学技術創造立国・情報通信研究開発推進調査会の事務局長として、また環境基本問題調査会長として、科学技術の発展、環境保全政策を進め、人間が尊厳を持って生きられる安心・安全な社会づくりに全力を注ぎます。また北九州市が日本を代表するエコタウンに発展するよう頑張ります。
過去2万年で世界の人口は600万人から60億人と1000倍になり、1人あたりが使うエネルギーは100倍になった。掛け合わせると10万倍だ。他方、漁獲、農作物収穫とも減少傾向が止まらない。耕地面積も、鉱業生産も減るばかりだ。食糧のムダも大きい。わが国の食糧は年間1500万トンを生産し、2250万トンを輸入している、他方、2000万トンが生産や流通の過程で捨てられている。驚くべき浪費である。
地球の46億年を1年に圧縮して見ると、人類の祖先の猿人が登場したのは12月31日午後4時、農業を開始したのは午後11時59分、そして工業経済の契機となった産業革命から現在まではわずか2秒である。このように一瞬でしかない時間に人間は異常に増加したのだが、それは地球が蓄積してきた資源を異常な速度で消費しつくしているだけでなく、自身が生活している環境さえ破壊しつつある。
過去100年で地球の大気温度は0.5度上昇した。今後100年で5.8度上がると予測されている。そうなると海面は88センチメートル上昇し、2億人が住む所を失うといわれている。
このような事態を招いたのは、生活水準の向上が、消費活動を活発にし、資源消費が増大、環境問題が発生する、という循環ができたためだ。この循環を断つには生活水準を向上させないことだが、これは実際には困難だ。そこで生活水準を下げずに、資源消費を減少させ、環境問題を抑制する「持続可能な発展」への挑戦を考える。
それは (1)技術の挑戦 (2)制度の挑戦 (3)精神の挑戦 である。
「29日目の恐怖」を直視しよう。大きな池のハスの葉は1日目は面積の5億3千万分の1でも倍々ゲームで増え、29日目には池の2分の1、30日目には全部を覆ってしまう。過程をずっと見ることが大切だ。環境問題も同じ。「まだ大丈夫」ではダメだ。今すぐから地球環境を守るために積極的に行動しよう。
(写真は(上)じみ庄三郎政経セミナー会場, (下)講演する月尾東大名誉教授
「IT・科学技術による国おこし」を掲げる自見庄三郎代議士はふるさと北九州市のIT都市づくりにも大きな貢献をしています。同代議士が誘致した列島を縦断する大容量光通信網「ギガビット・ネットワーク(JGN)」はこのほど約4倍の10ギガビットに増強され「JGNⅡ」が発足、これを使った新時代の生活情報通信網の「ユビキタスネットワーク」の研究が始まりました。自見代議士の奮闘で北九州市は21世紀のIT通信研究のメッカに成長しています。
自見代議士は通産政務次官、衆院逓信委員長、郵政大臣と、高度通信技術分野の草創期から育ててきました。中でも列島を縦断する「ギガビット・ネットワーク(JGN)」は平成10年、自見代議士が郵政大臣の時に事業費700億円をかけて生まれた情報通信の大幹線で小倉北区のAIMビルに研究拠点(ギガビット・ラボ)が設置され、全国3カ所の拠点を結んで研究開発支援に貢献してきました。
センターはJR小倉駅北側のAIMビル7階にあり、次代の国民生活を規定する「ユビキタスネットワーク」の開発研究を進めます。
北九州市は「高度情報通信都市」づくりを進め、平成13年には総務省から表彰を受けたIT技術の先進地です。
自見代議士は自民党の科学技術創造立国・情報通信研究開発推進調査会の事務局長を現在まで7年にわたって務め、科学技術の振興、予算の確保に努めてきました。15年度には、企業の研究開発投資とIT投資に対して1兆2千億円の減税を実現するなど「科学技術立国」に向けて奮闘しています。
やはり自見代議士が郵政大臣時代に決め、昨年から2011年までの計画で進んでいる地上デジタル放送の転換事業は200兆円の波及効果があるといわれ、経済成長にも大きく寄与する壮大な事業です。
ユビキタスとは語源は「いたるところにある」の意。生活のあらゆる所にコンピューターが内蔵され、相互に情報をやり取りしながら暮らしや仕事を支援する仕組み。玄関を開けるだけで、身の周りのコンピューターが察知し、あらかじめ登録した好みの温度や明るさに調節するなどの生活支援や、電子タグを使っての食品、薬品、衣料品、書類、有価証券などの履歴・流通情報の管理などさまざまな情報をタイムリーに入手できる。これら端末機器がネットワークを形成し、いつでもどこでも利用できる「ユビキタス社会」の到来も間近だ。
写真は(上)JGNⅡの10ギガ通信機器を視察する自見庄三郎代議士(平成16年10月2日,AIMビルの情報通信機構で), (下)北九州市の「メディア道場」で映像表現を勉強する児童たち(平成16年8月3日、AIMビルのエムサイトで)
自見庄三郎代議士が毎年この時期に開いている政経セミナー「自見庄三郎君と語る夕べ」が平成16年5月25日、東京・全日空ホテルで開かれ、政財官界の約900人の出席者で賑わいました。終盤にさしかかった国会日程の忙しい時期でしたが、衆院武力攻撃事態対処特別委員会の委員長を務め、今国会の重要法案のひとつである国民保護法など有事関連7法案3条約を衆院で通過させた直後だけに井上喜一・防災有事担当大臣、石破茂・防衛庁長官ら現職閣僚多数が会場を訪れ、各界の要人と大いに談論が盛り上がりました。
セミナーには元首相の有事関連法案の委員会審議・衆院通過で自見庄三郎委員長とタッグを組んで活躍した井上、石破両大臣、医療系議員連盟の「カトレア会」事務局長で自見庄三郎会長とスクラムを組んで活動する宮崎秀樹・日本医師会副会長(参院議院運営委員長)、衆院で自見庄三郎委員長と緊密な連絡を保って有事法案を通過させた中川秀直・自民党国対委員長、さらに亀井善之・農林大臣、竹中平蔵・金融経済財政担当大臣、JRのOBである野沢太三・法務大臣ら国政の中枢にある要人、さらに森山真弓・元法務大臣、町村信孝・元文部科学大臣、大島理森・元農水大臣ら101人の衆参国会議員が出席、末吉興一・北九州市長も参加しました。
また自見代議士が友好議員連盟の会長を務めているエチオピアのコアング・トゥトゥラム・ドゥング大使、パレスチナのワリード・シアム代表、さらに事務局長を務めている香港行政府東京代表部のアレックス・フォン首席代表も出席し、自見代議士の国際的な活動ぶりも示していました。
セミナーは金子恭之・衆院議員が司会をしました。まず、この会の発起人代表で、自見代議士が所属する近未来政治研究会を率いる山崎拓・前自民党副総裁が「自見さんは、社会保障、IT、研究開発、環境問題などで党内きっての政策マンであり、かつ政治への信念と情熱は誰にも引けを取らない。政治家としての幅を大きく広げてもらうために、安全保障、外交防衛の委員長を引き受けてもらった。これからの飛躍が期待される政治家だ」と期待の人材であることを示しました。
いま焦点の有事関連法制の制定を担当している井上喜一大臣は「武力対処特別委では52時間の審議を重ね、民主党の意見も取り入れて難しい法案を取りまとめてくれた。名委員長だ。当選7回を重ね、党内ですっかり重きをなしてきた。いっそうのご活躍を」と自見代議士の奮闘ぶりを語りました。
さらに日本医師会副会長の宮崎英樹・参院議員は「カトレア会の会長代理として医療政策に造詣が深く、医師としても政治家としても国の病根を癒す、なくてはならない政治家だ」と自見代議士への強い信頼振りを披露しました。
自見代議士の謝辞の要旨は次の通りです。
EUの拡大で、4億5千万の人口を持つ経済圏が出現しました。冷戦構造の崩壊以来、世界は激動が続き、現在は歴史的な大調整時代にあります。20年前は、論議するだけでも大問題になっていた有事事態の対応政策が論議され、その事態への対策が法制化されるまでになリました。日本の戦後がやっと終わったと感じています。
今回の有事関連法案の審議を通じて、国家にとって最も大切な平和・安全を確保する政策決定の一端を担わせていただきました。これから国民の安全・安心な生活を守る、という目的をしっかり定めて働きます。
この100年で地球は病気になりました。これから全世界でしっかり治して行かなければなりません。さらに、景気も上向いてきましたが、まだ東京、大企業中心です。これから地方都市、中小企業にも回復が実感できるような政策の実現に引き続き努力して参ります。私も価値観・世界観・歴史観をみがき、日本の体質を良くすることに努めたい。国家のために実を粉にして働く覚悟です。
写真は(上)祝辞を述べる井上・有事担当大臣 (中)謝辞を述べる自見代議士 (下)フォン香港首席代表の音頭で乾杯
3月末、新北九州空港の平成16年度の建設費予算が85億7千万円と決まりました。ここ3年の当初の50億円前後を大幅に上回る計上額で、残り必要額は32億5千万円となり、17年度中の開港は確定的になりました。予定通りの開港を強く働きかける自見庄三郎代議士に国交省は17年度中の開港を「確約」、これを実行して多額の建設費を計上したものです。ラストスパートに入った新空港の建設と予定通りの開港に向けて自見代議士は渾身の活動を続けています。
新北九州空港の建設費はこれまで総額980億円と見積もられていましたが、工期の遅れを取り戻す工事のためさらに40億円が必要となり、現在は総額1020億円と見積もられています。この見積もりは今後台風による災害の復旧費用で増加する可能性もあります。
16年度の85億7千万円の計上で、累計工事費は987億5千万円、残り必要額は32億5千万円となり、これを17年度に計上すれば、必要額を満たします。
自見代議士は16年度の予算編成の際にも国交省に17年度開港のための予算確保を強く要請、これに対し国交省は17年度開港を「確約」し、85億円の計上でこの約束を実現しました。自見代議士の奮戦が実ったのです。新北九州空港の建設は別表のように、平成5年の着手以来、総事業980億円のうち、15年度までに902億円が計上されています。ここ数年は厳しい緊縮財政のため建設費が不足がちで、予定通りの開港は絶望視されていました。しかし、これを知った自見代議士が政府首脳、国交省、財務省に猛アタック、説明要請活動を繰り広げました。この結果、財務省は平成14年末の補正予算で当初計上額の約2倍に当たる100億円を計上しました。これで予定通り17年度開港に見通しがつき市民を安心させました。この政治生命をかけた果敢な奮闘は「庄ちゃんの逆転満塁ホームラン」と語り草になっています。
台風被害による工事の遅れが心配されていましたが、工事のスピードアップと工事費の確保で、予定通り17年度中の開港が確実になりました。
15年度までに地盤改良工事が終わり、16年度はいよいよ滑走路や航空保安施設などの地上施設の整備にかかります。
開港まで、あと一息です。市民の皆さんの大きなご支援を受け自見代議士は国政の場で、開港に向けてさらに先頭に立ってスパートします。
写真は滑走路も形を見せ建設工事はラストスパートに入った新北九州空港(2月12日撮影)
JAS(日本エアシステム)のMD81、87型機のエンジンの緊急点検のため、1日4便の北九州便が1月19日から休止されました。再開までに1ヵ月かかる見通しでしたが、自見庄三郎代議士は地元の要望を受け「早期再開」を会社と政府に強く働きかけ、同25日、7日ぶりに運行が再開されました。 自見代議士の北九州活性化への熱意が当局を動かしたもので、新北九州空港建設費の100億円の予算獲得に続く「庄ちゃんの逆転ホームラン」と市民を喜ばせています。
JASの保有機MD87系26機を緊急点検のため同型機を使用する全便が19日から運休しました。点検が済んだ機から使用を再開しますが、北九州便は「福岡空港が代替使用できる」として、運行再開は約1ヵ月後との見通しになっていました。
現在、北九州空港はこの4便だけなので、その間、同空港は休止状態が続き、利用者は福岡空港まで行かなければならず、不便をこうむります。
23日に市関係者からこれを聞いた自見代議士はすぐに動きました。JASと監督官庁の国交省に「利用率75%と全国ベストテンに入る北九州便を後回しにして、利用者に迷惑をかけることは納得できない。北九州地区の景気回復にも影響する。早急に運行を再開せよ」と強く働きかけました。
効果はすぐに現れ、JASは即日「運行再開」を決め、25日から2.5便(2往復半)の運行が再開され、2月3日から全便が復航しました。
14年度補正予算で100億円を獲得して、新北九州空港の17年度開港を確実にし「庄ちゃんの逆転満塁ホーマー」と言われた快挙に続く、自見代議士の航空行政での市民の皆様への奉仕となり、末吉興一北九州市長も感謝の電話を寄せました。
写真は、北九州空港でJASの東京便に乗り込む乗客たち(1月27日)
激励大会であいさつする自見夫人と拍手で迎える私立保育園連盟の人々(平成15年10月29日)
安部晋三・自民党幹事長とともに市民と交歓する自見代議士(平成15年10月16日・旧小倉そごう前にて)
門司港レトロ街頭で支持者にあいさつする自見候補と来援の竹中平蔵金融財政大臣(平成15年11月3日)
いよいよ出陣、集まった800人の支持者を前に演説する自見候補(平成15年10月28日)
5,000人の支持者で満員の総決起集会(平成15年11月5日・西日本総合展示場にて)
当選を喜ぶ自見庄三郎・礼子夫妻(平成15年11月9日・選挙事務所にて)
総決起集会に来援、演説する谷垣禎一・財務大臣、右端は重渕雅敏・後援会会長。その左は合馬敬・選対本部長(平成15年11月5日・西日本総合展示場にて)
商店街の歩行遊説で買い物客と握手する自見候補(平成15年11月1日)
支援の坊やを抱っこして「がんばるぞ」(平成15年11月8日)
安倍幹事長が大声援 「ともに協力して改革実行」
自民党の安倍晋三幹事長が十月十六日、小倉北区の元小倉そごう前で、自見庄三郎代議士とともに演説しました。「次の総理候補」とも言われ、国民的人気が沸き起こっている四十九歳の若き政治家は5千人の聴衆を前に、「自見庄三郎先生は常に政策などの指導をしていただいている私の師です。ともに手を携えて改革を実行していく盟友です。二十一世紀の日本のためにはなくてはならない人物です」 と述べ、じみ代議士との強い絆を示しました。国会議員歴二十年、「日本再生、ふるさと活性化」の実現のためにいっそう頑張っています。
「平成の高杉晋作」に5千人が大歓声
じみ代議士と並んであいさつする安倍幹事長(10月16日、元小倉そごう前)
自見庄三郎代議士の新日本製鐵グループの後援会「庄東会」の会長に千速晃・同社会長(経団連副会長)が就任することが10月10日、決まりました。あたかも衆議院解散のその日、あいさつに訪れたじみ代議士の依頼を千速氏が快諾したものです。千速氏は平成10年4月から今年4月まで同社社長を務めました。初任地が八幡製鐵所だけに、北九州経済にも理解が深く、じみ代議士とも親しく、じみ代議士の政策決定の有力なアドバイザーでもあります。就任の報を聞いたじみ庄三郎陣営は「百万の味方ができた」と勇気百倍、いっそう頑張っています。
庄東会は平成3年、当時の斎藤裕・新日鐵相談役の肝いりで結成され、斎藤相談役自らが会長となってスタートしました。それ以来じみ代議士と新日鐵グループの深い絆が続き、平成7年10月には斎藤氏が発起人となって「語る会」を開き、さらに毎年1回「朝食会」を開いてグループ企業とじみ代議士が懇談や意見交換をして関連を深めています。
じみ代議士は「斎藤氏、今井敬氏、千速氏、現在の三村明夫氏と歴代の新日鉄社長には大変なご厚誼とご指導を賜ってきました。グループの皆様との絆を大切にし、北九州経済の活性化に力を尽くします」と語っています。
あいさつに訪れたじみ代議士に庄東会会長を快諾した千速・新日鐵会長、平成15年10月10日
郵政大臣当時、自見庄三郎氏を訪れた今井敬・新日鐵会長・経団連会長=当時、平成10年7月
・ 新日本製鐵 ・新日鐵化学 ・九州石油 ・日鐵商事 ・日鐵建材工業 ・日新製鋼 ・山九 ・日鐵溶接工業 ・不動建設 ・太平工業 ・日鐵エレックス ・新日鐵都市開発
医師出身の自見庄三郎代議士は医療福祉研究会(会長・坪井栄孝日本医師会会長)が支援団のひとつにあり、また九州各県を中心に医師会、歯科医師会、薬剤師会、看護連盟、さらに多くの医療関係団体など多数の支部が医療界、福祉界を中心に組織されています。
さらに福岡市、大阪、名古屋地区にも経済界を中心に後援会が結成され、定期的に講演会や懇談会を開いて、政策説明や要望を交わしています。
じみ代議士の企業グループの後援会に三菱グループの「庄菱会」、三井グループの「庄井会」、住友グループの「庄友会」があります。それぞれじみ代議士と定期的に会合を開いて政策への要望やじみ代議士の経済政策を決定するアドバイスなどを語り合う心強い「応援団」です。じみ代議士の景気対策のヒットとなった15年度税制の1兆2千億円にのぼる「研究開発投資促進減税」もこれらの会合からヒントが生まれました。じみ代議士は各グループとの緊密な連携のもとで、日本経済の再生を進めます。
じみ庄三郎代議士と三菱グループとの関係は、じみ代議士がまだ九大第一内科でいわゆる「無給医局員」だったころ、当時の三菱化成黒崎病院に内科医として週一回、勤務していたことから始まっています。昭和58年に初当選した後、じみ代議士が鈴木永二・三菱化成社長(のち日経連会長)に会った際、このことを話すと鈴木氏は「それは奇遇だ。あなたを三菱の準社員待遇にしてあげる」と言ってくれました。以来、じみ代議士は三菱グループの熱心な支援を受けています。
じみ庄三郎政経セミナーであいさつする藤村正哉・三菱マ相談役、後方はじみ庄三郎夫妻=平成14年6月・東京で
じみ代議士の小倉高校の大先輩に、三菱マテリアル元社長で現相談役の藤村正哉氏(旧制中学31期)がお元気です。藤村相談役はじみ代議士のよき相談相手となって指導、現在も庄菱会会長として、毎年の政経セミナーに欠かさず出席して激励をいただいており、政治家・じみ代議士の育ての親です。
また、正野寛治・三菱化学会長も小倉高校の先輩(6期)で、強い支援をいただいています。平成3年、グループの11社が参加して勉強会の「庄菱会」が発足しました。じみ代議士を囲んで、経済情勢や政局を語り合い、経営方針、政策決定に反映しようとの趣旨で、毎年3回ずつ例会を開いています。
・三菱マテリアル ・三菱化学 ・明治生命保険 ・旭硝子 ・東京海上火災保険 ・キリンビール ・三菱信託銀行 ・三菱商事 ・三菱電機 ・三菱重工業 ・三菱倉庫
北九州で「三井」といえば炭鉱経営で知られています。じみ代議士と三井系企業のかかわりもやはり炭鉱を通じてでした。昭和58年の初当選以来、一貫して衆院石炭対策特別委員会に所属して、理事や副委員長も務めて石炭・エネルギー政策に打ち込み、平成8年には党石特委の委員長も務めたじみ代議士と当時の三井鉱山社長の有吉新吾氏との交流が深まりました。
同社長とじみ代議士との交友の中で、同社は旧福岡4区時代から、田川地区の有力企業のリーダーとして、じみ代議士を支援してきました。
写真は有吉新吾氏
福岡県出身の有吉社長は郷土の先輩としても石炭・エネルギー政策でよき助言者となり、政治家・じみ代議士を盛り立ててきました。有吉氏の紹介で三井グループのリーダー格の三井物産にお願いし、平成11年2月、グループの11社が参加して勉強会の「庄井会」が発足しました。じみ代議士を囲んで、経済情勢や政局・時局を語り合い、経営方針、政策決定に反映しようという趣旨でした。以来毎年1、2回ずつ例会の懇談会が続きじみ代議士を支えています。
・三井物産 ・東芝 ・トヨタ自動車㈱ ・三井住友銀行 ・三井住友海上火災保険 ・日本ユニシス ・三井造船 ・石川島播磨重工業 ・三井化学 ・電気化学工業 ・三井鉱山
写真は、中村為昭氏
庄友会はじみ代議士が通産政務次官だった平成3年12月、住友金属工業社長を務めた、小倉出身の中村為昭氏(74歳)が会長となって、住友グループで北九州市に進出している9社がメンバーとなって発足しました。以来毎年1,2回ずつ例会を開いて懇談会が続いています。
父子2代の小倉製鉄所長 住友金属元社長で、同社の小倉製鐵所長も勤めた中村為昭氏はじみ代議士の母校・小倉高校の大先輩で旧制中学35期です。中学時代に野球選手としても鳴らした中村氏は、住友金属で父上とともに2代続いて小倉製鐵所長を務めました。
昭和58年のじみ代議士の初当選当時から、じみ代議士の郷土、高校の先輩として、よき助言者となり、政治家・じみ代議士を指導してきました。じみ代議士は「住金さんは私の支援団体の大黒柱のひとつです。中村さんには私の初当選の時からいろいろご指導をいただいてきました。ご支援、ご鞭撻に心から感謝しています。景気回復、経済再生のために、また北九州経済の活性化のために、これからも頑張って行きます」と語っています。
住友金属工業 ・住友商事 ・三井住友銀行 ・住友生命保険 ・三井住友海上火災保険 ・日本電気 ・住友大阪セメント ・住友建設 ・住友重機械工業
© 2010-2012 Jimi Shozaburo Office. All Rights Reserved.